甘塩日記

しょっぱめのさとうがはりきる日常の記録

女を磨くことの後ろめたさ

こんなことを書く必要があるのかないのか(おそらくないのは重々承知…)、ここ数日ずっと頭の中をぐるぐる回っていることがあったので、ここらで一回アウトプットしたほうがいいなぁと思いました。

15歳くらいからオタク街道を突っ走ってきました。学生の頃から小太り~デブの間を行ったり来たりしていて、自分を磨くことより好きなアニメを見たりコミックスや同人誌を買ったり作ったりしたほうが全然楽しかった。充実していたし、その日々を後悔したことは一度もありません。

私は女子高出身なのですが(共学でも同様の事象はあるかもしれません)、その中で自然と分かれる「女を全面に出すグループ」と「趣味に没頭するグループ」。私は明らか後者の方で、前者のグループの子達が化粧品や香水のにおいをさせることに不快感すら覚えていました。高校生のクセに、みたいな謎の上から目線。それは恐らく彼女達に感じる羨ましさや憧れがそうさせていたのかもしれません。

高校卒業後は進学せず就職しました。校則で化粧が禁止だったので(大体何処の高校も一般的にはそうでしょうけど)ちゃんとした化粧の方法が分からないまま、地元の役所の臨時職員を二年ほどしました。毎日スッピン。何も塗らない、何も描かない。それでも周りから何を言われることもなかったし、先輩達は小太りの垢抜けない私を可愛がってくれたので何も不便はありませんでした。ただ、私は死ぬまで彼氏なんて出来ないだろうし純潔を突き通して神に召されるのだなとは思ってました。

そういう生活をしていくと、徐々に綺麗に着飾った女性(特に男性にチヤホヤされるタイプ)を敬遠したくなるようになりました。見た目がいいだけで中身は空っぽなんでしょ、なんていう言い掛りまでつける始末。自分が努力しない部分を正当化したくて、相手の努力を無効化するために。

だんだんと「オタクのクセに色気付いてるの気持ち悪い」になり、それが拗れて「見た目よりちゃんとした作品を書けることが素晴らしい」になり、最終的に見た目を磨かない頑張らないことに持っていく。そんな暮らしが続きました。

お洒落はかっこ悪い。女を出すのは気持ち悪い。
中身のない人間が最後に使う手段なんだ。
ちゃんとしていれば分かる人には分かる、見た目で判断するような人たちとは私は違うんだ。

なんて馬鹿げた思考だったんだろうと今ならわかります。
でも当時の自分はそうして自分の容姿コンプレックスを窘めるしかなかった。

私の根底には今でもその要素が強く残っていて。
ピーク時から体重も落ち、ある程度の選択肢が増えた今。
その思い込みに強く苦しむことがあります。

鮮やかな色合いの洋服を着るようになり、綺麗にネイルが仕上がっても、美容室でトリートメントを受けても、素敵なセットの下着を身につけても。そのとき凄く楽しくて充実感に満たされても。
自分がどんどん「あの頃に一番嫌っていた人間」に近づいていくことに不安になる。

子供のくせに。
○○のくせに。
おまえのくせに。

自分を苦しめるのが他人なら離れていけばいいだけなのに、それが自分自身だから本当に手が悪い。三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので。私は死ぬまでこの思い込みと戦うことになるのだな、としみじみ思うのです。

なので。改めて自分自身に言い聞かせるためにも。

お洒落は悪でもないし、みっともないことでもない。
綺麗でいようと思うことのデメリットは何もありません。
そして始めることに早いも遅いもない。
年齢相応というボーダーはあったとしても、最終的には自分がしたい格好を、スタイルを貫くべきなんですよ、と。
たとえ誰が(過去の自分であっても)何を言ったとしても。その人が自分のために何をしてくれるのかって話です。自分でやりくりしてやることにご意見不要!でいいんじゃないかって。

中身が美しいから外面が美しくなる、っていうのはちょっと特殊かなと思います。
人は、目に見えるものから中身が変わっていく。身につけるものを変える、視界(部屋の中や家の中)を整える、本当に気に入るものだけと暮らす。そうやって物質的なものを美しくしていくことで中身も整う。卵が先か鶏が先かの永遠解決しない話にも似ていますが、結果的にどちらも綺麗になるのならオーライでいいんじゃないかと。

そんでもって。
美しい、カッコいい、素晴らしいのサジは人それぞれだから。
最後に私の一番好きなエピソード、星野源さんの「自分に自信を持つ方法」をご紹介します。

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自分がかっこ悪いと思うことをしないだけで、かっこいい。
シンプルだけど結局そういうことなんですよね。